昭和のSL【九州編】 田川線 9600 石灰石専用列車

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  • Опубликовано: 20 авг 2024
  • 昭和40年代、全国で活躍していた現役蒸気機関車。
    貴重な8mフィルム映像をデジタル処理、音声は同時録音のステレオで、
    全国地域別・線区別に再編集いたしました。
    川線 ① 崎山駅⇒油須原駅 9600牽引 石灰石専用列車
    田川線は、日豊本線の行橋駅から、日田彦山線の伊田駅(現在は田川伊田駅)に至る、26.3Kmの路線です。
    田川線は、筑豊炭田で採掘された石炭を、苅田港へ運搬するために、明治28年に敷設されました。
    昭和35年以降のエネルギー革命により炭鉱は相次いで閉山、石炭列車も廃止され、その後は、糸田線、添田線など、多数の路線も廃線になりました。
    昭和62年、国鉄の民営化よりJR九州に承継され、昭和64年には平成筑豊鉄道に転換されました。
    昭和40年後半からは、後藤寺線船尾駅近くの、旧日本セメント香春工場で採掘された石灰石鉱山を、田川線を経て、周防灘の苅田港に、石灰石専用列車が平成元年まで運行されました。
    最初の動画は、苅田港より空のホッパーを、後藤寺駅に回送する、下り専用貨物列車です。
    この列車は9600単機が牽引、崎山駅~油須原駅間の今川の橋梁を渡り、油須原駅を目指します。
    田川線 ② 崎山駅⇒油須原駅 9600+9600重連 石灰石専用列車
    次は、田川線の崎山駅~油須原駅間を、後藤寺駅に向かう、9600重連下り回送専用列車です。
    この下り重連運用は昭和47年ごろまでありました。
    田川線は油須原駅をサミットに、両方向から緩い勾配が続きます。
    油須原駅より内田信号所よりにも、有名な撮影地ポイントがありましたが、崎山駅側もカーブや鉄橋もあり、絵になる風景でした。
    この撮影地は、油須原駅から徒歩2.5Kmで、県道34号線から撮影しています。
    側を車やバイクが通過するので、時折、車やバイクの騒音が収録されています。
    ご了承ください。
    田川線 ③ 晴天の崎山駅⇒油須原駅 9600+9600重連 石灰石専用列車
    続きましても、田川線 崎山駅~油須原駅間の今川橋梁を、9600重連で後藤寺駅に回送される、下り専用貨物列車です。
    先ほどの動画は、生憎の曇天下での撮影でしたが、今回は素晴らしい晴天下での撮影です。
    画面右側が崎山、行橋方面で、画面右側は油須原、伊田方面です。
    列車が画面右に進んだ先に、九州最古の鉄道トンネル、石坂トンネルがあります。
    石坂トンネルは明治28年に建設され、建設当時の赤レンガ造りの姿を現在も保っています。
    平成11年には、文部省登録文化財に指定されました。
    田川線 ④ 崎山駅⇒油須原駅 29602+9600重連 石灰石専用列車
    田川線の崎山~油須原間には、九州最古の石坂トンネルもありましたが、線路に並行して流れる今川にも、人気のある橋梁がありました。
    油須原駅より約1Km、崎山方面に進むと、美しいプラットトラス桁の、第4今川橋梁があります。
    現在は、この橋を越えたところに「源じいの森駅」が施設されました。
    すぐ側に、ふるさとセンター「源じいの森温泉」が出来、そちらへのアクセスとして駅が出来ました。
    こちらの映像も、後藤寺駅に回送される、下り専用貨物列車を、9600重連で牽引しています。
    撮影時には気が付かなかったのですが、鉄橋右端に撮り鉄の方が居たのです。
    当時は、まだ田川線を訪れる撮り鉄ファンは、少なかったのですが、画面を拡大して、初めて気が付きました。
    田川線 ⑤ 油須原駅 39639+9600重連 石灰石専用列車
    田川線油須原駅は、行橋駅と後藤寺駅の中間に位置し、油須原駅は勾配の頂上にあります。
    駅を境に両方向に撮影とポイントがあり、撮り鉄ファンのメッカにもなっていました。
    油須原駅は、明治28年に豊洲鉄道の駅として開業。
    明治34年には九州鉄道に合併、明治40年には国鉄の駅になりました。
    駅には、国鉄時代の内照式駅名電気掲示板が現役で活躍、柱の駅名表は楷書で描かれていて、昭和の名残がする駅です。
    この油須原駅は、開業以来の木造駅舎が現役のまま残っり、映画「東京タワー~オカンとボクと時々オトン」や、「金田一京助」などの撮影にも使われています。
    ここでは、後藤寺から勾配を登ってきた、9600重連の石灰石専用列車が、甲高い汽笛二声を轟かせ、苅田港に向かいます。
    田川線 ⑥ 内田信号所⇒油須原駅 9600牽引 石灰石専用列車
    田川線内田信号所~油須原駅間には、有名な撮影地ポイかとがあります。
    油須原駅より約2Km、内田信号所方面に向かうと、田川線が大きくカーブをして、油須原駅に向け築堤が続きます。
    画面がワイドになってくると、画面左側に、田川線と合流するように掘割が見られます。
    これは国鉄時代に、漆生線漆生駅と田川線の油須原駅を、短絡線で結ぶ計画で、工事が始まりました油須原線跡地です。
    その後は、周辺の路線が廃線となり、工事を中断、未成線となりました。
    現在はその跡地を利用し、毎年9日間前後、赤駅から1.7Km区間に、赤村トロッコ油須原線が運行されています。
    後藤寺駅より、石灰石を満載したホッパーを牽引、9600単機が夕陽をバックに油須原駅に登ってきます。
    田川線 ⑦ 内田信号所⇒油須原駅 前9600~後9600補機付 石灰石専用列車
    田川線は、筑豊炭田で採掘された石炭を、苅田港へ運搬するために、敷設された路線です。
    黒ダイヤと言われていた石炭は、昭和48年に露天掘りの貝島炭坑を除いて全て消え、高度成長の中、時代の流れとともに、白いダイヤと言われた、石灰石に注目が集まり始めました。
    後藤寺線船尾駅近くの、旧日本セメント香春工場では、セメントの原料となる、石灰石を採掘、平成元年まで後藤寺から苅田港まで、石灰石専用列車での鉄道輸送が行われました。
    内田信号所側から油須原に向け、10.0‰(パーミル)の長い上り勾配が続きます。
    上りの石灰石専用列車は、石灰石を満載するので、牽引定数が多く、後藤寺から補機が付きました。
    田川線 ⑧ 内田信号所⇒油須原駅 前補機9600+次位9600~後9600補機付 変則三重連 石灰石1000t専用列車
    田川線は平成元年まで、後藤寺からの石灰石輸送で、重要な路線でした。
    香春岳で採掘された良質の石灰石は、セメントの原料として、工場へコンベアで運ばれ、仕分けされた後、旧日本セメント香春工場から、専用線で後藤寺駅に運ばれ、田川線経由で苅田港へ運搬されていました。
    昭和40年後半、日本は高度成長期に入り、道路建設やビル建設増大に伴い、セメントの需要が増え、石灰石の採掘が増産されました。
    多い時期は一日に3000t近くになり、その石灰石を田川線経由で苅田港へと、日田英彦山線を経由して門司埠頭駅へ、鉄道輸送されていました。
    特に輸送量の多い田川線には、10.0‰の上り勾配があり、貨車の牽引定数に限界もあり、輸送力のネックになっていました。
    そこで、石灰石専用貨車総重量1000tの輸送をする為、午後の専用列車は前部を9600が重連で、後部に9600の後補機が付く、変則三重連の運用が始まりました。
    伯備線の三重連が終わった後、撮り鉄ファンには、プレミアムな運用でした。
    石灰石を満載したホッパーの超大編成を、三台の9600が牽引する姿は、これぞ本物の蒸気機関車の魅力です。
    撮影時は、前二両の9600の足並みがそろわないのか、激しくブラスト音が二重奏になり、周りの山々にこだましていました。
    後補機の9600は、油須原駅で解放され、単機で後藤寺駅に戻っていきます。
    オリジナルフィルムの保存が状態が悪く、画像に傷や埃でお見苦しい箇所があります。
    ご了承ください。

Комментарии • 13

  • @masayan156
    @masayan156 Год назад +5

    学生時代、夏休みを利用して、東京から急行、桜島.高千穂に乗って、1週間のSL撮影に出かけました。早朝に行橋駅に到着。すぐ傍の行橋機関区には緩やかに煙を吐く9600が数量、出庫待ちをしていました。その日は、こちらの動画にある、油須原の築堤で、変則三重連を撮影しました。当時の興奮が蘇ってきました。素晴らしい動画のUP、ありがとうございました。

    • @toshitan3271
      @toshitan3271  Год назад +1

      コメントありがとうございました。
      この動画を見ると、今でも三台のカマのブラスト音が聞こえてきます。

  • @f4802
    @f4802 2 месяца назад +1

    何処かで「勾金」添田線?が交差?する所があるのかな!、と見てました。
    こんな事から「上富野」駅を、よじ登る感じの駅が思い出されます。

  • @user-xy3ye6kl6p
    @user-xy3ye6kl6p 2 года назад +7

    田川線の一番良い処ですね。
    返空は単機でも石灰石満載だと補機は必要でした。
    DE10もプシュプルで石灰石を輸送し、タブレット閉塞でした。

  • @user-ul1zv3vq9s
    @user-ul1zv3vq9s 10 месяцев назад +3

    最後の重連プラス後補機はシビレました。重なり合うドラフトが最高です。私も中学生の頃あのお立ち台に立ったことありです😂

  • @sonic-y9104
    @sonic-y9104 3 месяца назад +1

    素晴らしいです。中3の時に油須原に行きました。最後の列車は圧巻ですね。

  • @user-go5fk3fl9x
    @user-go5fk3fl9x 4 месяца назад

    私の祖父、父親と国鉄でした。祖父は田川線を運行するSLの機関士なのでこの映像の中のSLを運転していると想います。石炭セメントとは別に客車も運転しておりました。この区間はダラダラとした峠が続く汽車泣かせの線路だと幼き私によく話してくれたことを思いだし感無量となりました。
    大変貴重な映像に深く感謝致します。失礼しました。

  • @user-xq4lv7de7d
    @user-xq4lv7de7d 5 месяцев назад +1

    伊田線でよく見る機関車でした。中泉駅によく停車していました。😅

  • @user-rz3tp5kb5z
    @user-rz3tp5kb5z 4 месяца назад +1

    百戦錬磨の古強者
    帰らざる勇者たち
    老兵は 死なず
    ただ 消えゆくのみ

  • @skt8212
    @skt8212 Год назад +5

    高一の時に最後のSL撮影の地に選んだのが田川線と後藤寺線でした。9600は好きな機関車で太いボイラーなのに汽笛が「ピーッ」なので滑稽に思いました

    • @toshitan3271
      @toshitan3271  Год назад +1

      コメントありがとうございました。
      9600は三室汽笛が付いてるカマが来ると郷愁をそそりますね。
      SLの中では一番扱いやすい機関車として一番最後まで活躍しました。
      SL最後の日、追分機関区での9600お別れ式にも行ってきました。

    • @skt8212
      @skt8212 Год назад

      田川線の油須原にも行きました。一本の列車を写す為に一時間ほど待ちました。その後後藤寺へ行き、9600の重連プラス後補機付きを撮影しました。そして日田彦山線で小倉へ行って夜行列車で帰宅。日田彦山線では乗客がラジオで高校野球を聴いてたら車掌も一緒に聴いていました。田舎ならではの光景かな

  • @user-mj8bp2gn4q
    @user-mj8bp2gn4q Год назад +3

    中ニの時、油須原まで行き自転車で補機付96を撮りました